大量の教科書やノートを持つ女の子。
学校の教科書と思いきや、塾で使用しているノートだという。
そう、ここで分かった事実は「スラム街の子供たちも塾に通っている」ということだ。
どっさりとある教科書
子供を塾に通わせているのは、何もこの家庭だけではない。
スラム街では、子供たちが塾に通っているという話をよく耳にする。
日本では低所得家庭の子供たちが塾に通えず、そうでない家庭の子供たちとの間で学力に差がうまれていることが問題となっている。
一方ミャンマーでは、貧困層の子供たちも塾に通っている。不思議に思わないだろうか。
塾で使っている教科書を見てみた
学校でも塾でも使用しているという教科書を見せてもらった。
英語の教科書
英語の教科書。イラストはミャンマーの学校の様子を描いている。
ただし先生が授業中にこの英語を読み上げるかは別だ。この程度の短い表現であれば発音を読み上げるかもしれないが、少し長くなればミャンマー語だけで説明する先生も多いという。
理科の教科書
こちらは理科の一歩手前の科目の教科書。
確か私が小学生の頃は、「せいかつ」という科目だった気がする。
私の小学校では「あさがお」や「マリフラワー」、「稲」を1人1つ育てながら学んだが、ミャンマーの子供たちはこの絵だけで学ぶ。
身の回りに自然がたくさんあるのに絵だけで学習するなんて、もったいない話である。
算数の教科書
こっちは算数の教科書。ひっ算だろう。全体的に絵や図が予想よりも多いように感じる。
ここ最近は、アウン・サン・スー・チー氏のもとで少しずつ教科書の改革が進んでいるようだ。
また2017年度(ミャンマーでは6月1日が進学年度の開始日)からは、JICAの技術協力により開発された1年生用教科書が全国の小学校に一斉導入された。(1)
学校と塾の違い
学校と塾の違いについて、実際に子供たちに話を聞いてみた。
筆者:
「使う教科書が同じなのに、学校と塾ってそんなに環境ちがうの?」
娘:
「教科書は同じだけど、学校だと1人の先生に対して生徒が60人もいるし、質問もできない。ただ教科書の文を読むだけじゃ、テストできないよ~。それに、友達もみんな塾行っているし、普通だよ。」
実は、ミャンマーの塾(チューシン)というのは、主に学校の先生が経営する小さな学習教室のようなもの。
内容はあくまで学校の補習なので、日本でいう進学塾というよりは、補習塾のようなものだろうか。
日本と違ってミャンマーでは毎年進級試験があり、たとえ小学生であっても、それに受からないと次の学年に進級できない。
この試験に合格するために、放課後にチューシンに行き、少人数制で質問がしやすい環境で勉強をするという。
先生によっては自宅で授業を行うこともあるようだ。日本の塾とはかなりイメージがちがう。
また、このチューシンと呼ばれる塾は、大学の先生が経営している場合も多い。大学の先生は給料が安く、副業として塾の先生をすることでお小遣い稼ぎをしているようだ。よって、大学の講義の準備が疎かになる場合もあるらしい。
なぜ塾が開かれ、貧困層の子供たちが通うのか
学校は生徒が多いこともあり、十分に学ぶことができる環境ではない。
そのため、学習意欲がある子ども、というよりは、親に期待をかけられている子どもたちが、足りない学習を補うために塾に通っている。
また、塾は学校の先生たちのお小遣い稼ぎの場となっている。
最近は随分良くはなってきたが、ミャンマーの政府の役人や教師の給料はかなり安い。そういった安い給料を補うために、先生たちは学校外で子供たちを教える場を作っている。
これはある意味、全ての人にとって「得」になる仕組みである。
子どもたちは学ぶ機会を、先生たちは追加の収入を得ることができる。
また子どもの親たちは、多少無理をすれば、子どもたちの未来のために投資をすることができる。
しかし、これで本当にいいのだろうか。
貧困層の人々は彼らにとって決して安くない塾代を払い続け、先生たちは本職と副業を掛け持ちすることで、それぞれの授業の質を落とし、子供たちは質の高い教育を得るために塾に通う。
そして、貧困層は塾代を払い続ける。
この現在の仕組みによって、彼らが貧困から脱出できるのかを問い続ける必要がある。
【参考】
(1)JICA「ミャンマーにおいてJICAの技術協力で開発された新しい教科書が全国の小学校に一斉導入」