ミャンマー最大の都市、ヤンゴンの中心部から車で約2時間走ったところにトングワという街がある。
メインストリートには個人商店が立ち並び、バスやバイクタクシーが盛んに往来している。小さいながらも活気に溢れたこの街が、今回の訪問地だ。
今回インタビューに応じてくれたお母さんは、このメインストリートからバイクで10分ほどの静かな住宅街で、旦那さんと小さな雑貨屋を経営している。
優しい笑顔のお母さん。なんと年中無休で1日あたり18時間も働いているという。
そんなに働いて身体は大丈夫なのか?
そんなにも働かなければいけないほど、生活が困窮しているのか?
今回は、お母さんがそんなにも一生懸命に「働く理由」に迫りたい。
目次
働き者のお母さん、その家族とお店の状況に迫る
異色の経歴?夫婦の前職とは
まずは、家族構成からみていこう。
3人の子どもをもつお母さんは、現在58歳。今は、旦那さんと自分の父親の3人で暮らしている。
子どもたちは全員仕事に就いており、それぞれ別の場所に住んでいるそうだ。
現在は旦那さんと雑貨屋を経営するお母さんだが、実は6年前まで政府機関で働いていたバリバリのキャリアウーマン。
旦那さんも1988年の軍事クーデター以前は政治家だったという。
…実はこの2人、凄くエリートなのではないか?
なぜ雑貨屋経営に至ったのか、ますます気になってきた。
品揃え豊富な雑貨屋を覗き見る
経営に至るまでの経緯を聞く前に、2人の営む雑貨屋がどんなお店か拝見してみよう。
まずは外観から。
このお店ではお米や調味料、お菓子、日用品などを販売している。
ミャンマーに限らず、東南アジアの国々ではこのような雑貨屋をよく見かける。
ちょっとしたお菓子やジュースを買ったり、洗剤がなくなった時に駆け込んだりと、コンビニ感覚で利用できる店だ。
このお店の場合、近くに学校があるため、近所の子どもたちがお菓子や文房具を放課後に買いにくることも多いとか。
私たちの滞在中にも、かわるがわるお客さんが入ってきては、買い物ついでにお母さんたちと談笑しており、地域の人々に愛されるお店であることが見てとれた。
公務員から雑貨屋に転身!その理由と経営方針とは
雑貨屋を開店した理由
2人がお店を始めたのは3年前のこと。
政府から毎月受け取る年金の額が少なく、それだけではとても生活できなかったため、マイクロファイナンスを利用してこの店を開店したという。
ミャンマーの公務員の給与は低い。近年では経済成長に伴い引き上げが続いていたが、2015年4月に月あたりの最低賃金が125USドル(約14,000円)に引き上げられたのを最後に、2017年6月現在まで変化はない。これは、製造業の作業員(実務経験3年程度)の月あたりの基本給(124USドル)とほぼ変わらない額である。ちなみに、2015年以前の公務員の最低賃金は、月あたり75USドル(約8,500円)だった。
給与が低いのと同様、年金額も低い。こちらも近年増額されつつあるが、年金事務所に受け取りに行くための交通費を引くと、子どもの小遣い程度の額しか手元に残らないという。
(参考)
「ミャンマー、公務員の給与が2倍に引き上げ」 ミャンマーニュース
「公務員のための昇給は起こらないだろう」 SAGA国際法律事務所ミャンマーオフィス
「投資コスト比較-ヤンゴン(ミャンマー)」 JETRO(日本貿易振興機構)
とはいえ、元々の仕事は雑貨屋からは程遠い職種であったお母さん。
数ある職種の中から、なぜ雑貨屋を選んだのかを聞いてみると、
「服は生活に余裕がない時に買わないでしょう。でも、食べ物は生きていくのに必要だから、お金があまりない時でも皆絶対に買いに来る。だから、この仕事を選んだの。」
と教えてくれた。
「収入は必要だからね。」といたずらっぽく付け加えて笑うお母さん。なかなかの策士だ…。
ちなみに、元々政党に所属していた旦那さんは、1988年の軍事クーデターを機に政治家を辞めざるをえなかった。
それ以降はトレーダーとして食材を扱う仕事をしていたことも、雑貨屋を選んだ理由の1つとのことだ。
お店の開店時に旦那さんはトレーダーを辞め、現在はお母さんと共にお店を経営している。
収入が第一!…とも言い切れない?その経営方針に迫る
生活のためにも、収入が大事だと言うお母さん。
しかし、田舎町の片隅にある雑貨屋で、そもそも何がいくらで売られているのかイメージがわかない方も多いだろう。
そこで、お店の商品をじっくり見てみよう。
まず、お店の内部はこんな感じ。
一番安い商品は、塩。1パックあたり200チャット(20円)である。
反対に、一番高いものはお米。1kgあたり、1,000チャット(100円)から1,700チャット(170円)だ。
ヤンゴン市内にあるチェーンのスーパーマーケットで買えるお米が、安いもので1kgあたり1,200チャット(120円)だから、価格はそう変わらない。
量り売りの豆や調味料はスーパーで買うよりかなり安いが、それはヤンゴン市内のローカルショップでも同じこと。
そう考えると、田舎町だからといって商品の価格帯は都会とそう変わらないようだ。既製品に至っては、運搬の手間がかかる分、都会より高いこともある。
ところで、商品の価格はどのように決められているのか。
お母さんによると、仕入価格に100~300チャット(10~30円)を上乗せしているとのこと。仕入れは月に1度まとめて行うため、交通費分の上乗せ額が少なくて済むそうだ。
「1つ1つの商品で得られる利益は多くなくても良いの。」
と言うお母さん。
「もちろんお金は欲しいけど、価格が安い方がお客さんは嬉しいでしょ。その分、うちはたくさん売れば良いわけだし。」
つまり、薄利多売でお客さんとウィン–ウィンの関係を築こうとしているらしい。
建設現場で日雇いで働く労働者など、その日暮らしの人が多いこの地域では、安い商品は喜ばれるだろう。
自らの収入の為に働くのはもちろんだが、その仕事を通じて、お客さんの生活を豊かにするところまでをしっかりと見据えているようだ。
仕事が大好きなお母さんの1日の過ごし方とは
話を聞く限り、お店の経営は順調そうだ。
果たして、1日に18時間も、しかも年中無休でお店を開けておく必要はあるのか?
お母さんがどんな1日をおくっているのか見てみよう。
まず、お店は朝の5時に営業を開始する。
というのも、近くに住む日雇い労働者やバイクタクシーの運転手たちが出勤前に寄っていくから。市場がまだ開いていない時間に出勤する彼らにとって、早朝から開くこの店は貴重な存在だ。
日中は、旦那さんと協力しながら、お客さんの少ない頃合いを見計らって家事を済ませたり休憩をとったりしている。
夜は21時過ぎにお店のドアを閉めるが、お客さんが外からノックすれば23時までは対応する。
そんな遅い時間までお客さんが来るのか、と思うかもしれないが、早朝と同様、バイクタクシーの運転手などが仕事帰りに立ち寄っていくため、稼ぎ時だという。
朝早くから夜遅くまでお店を開ける理由は、どうやらこの客層にあったようだ。
閉店後は夜中の0時に就寝、そしてまた午前5時前に起きてお店を開けて、の繰り返し。
そのルーティーンは、お正月(ミャンマーでは4月中旬)や祝日でも崩れない。
思わず、「忙しいね…。」とつぶやくと、
「前の仕事(政府機関)の時も同じような生活だったから平気。それに、働くことは好きだから。働くことが、私の生きがいなの。働かないなんて、考えられない!」
とお母さんは元気に答えてくれた。
お母さんがもつ子どもたちへの想い
仕事が大好きなお母さん。忙しい日々ではあるが、仕事を楽しんでいる様子が伺える。
とはいえ、お母さんは60歳手前。身体的に、だんだんと無理がきかなくなるだろう。
お母さんが働けなくなったら、お店はどうなるのだろうか。
3人の子どもの内の誰かに継いで欲しいと思わないの?と聞くと、
「子どもたちに店を継いで欲しいとは思わない。」
とお母さんはキッパリと答えた。
携帯ショップを営む長男は近くに住んでいて、孫も毎日顔を出してくれるし、外国船で航海に出ている次男は時々Facebookを通じて写真を送ってくれる。違う州に住んでいる娘は、毎日電話をかけてくるそうだ。
「皆が連絡してくれるから、寂しくないの。彼らには彼らの夢があるでしょ。それをずっと応援してきたし、これからも応援したいの。」
「彼らが自分の道を進むのを、応援したい。」
口を揃えて言うお母さんと旦那さんは、子どもたちの仕送りの申し出を断り、自分たちの生活費は全て自分たちで稼いでいる。これも、彼らが仕事にうちこむ理由の1つだったようだ。
まとめ;田舎町で雑貨屋を営む夫婦の「働く理由」
ミャンマーの田舎町で、旦那さんと朝から晩まで働き、慎ましい生活をおくるお母さん。
収入は確かに彼らにとって最重要事項であり、ビジネスの動機ではある。
しかし、その背景には、仕事を通じて地域の人々に貢献したいという信念と、家族を想う気持ちがあった。
ビジネスの種類や規模、環境こそ日本とは異なる。
しかし、彼らにとっての「働く理由」は私たちのそれとそう変わらないのではないか、そのように感じることができるインタビューであった。
ビジネス:雑貨屋経営
月収:約45万チャット(約36,000円)
世帯人数:3人(夫、父親)
取材協力:MJI Enterprise