ミャンマーの子どもたち

スラムで生活する子どもたちは、どのような将来の夢を持っているのか?

小さいころから家族のために働きそのまま一生を終える、そんなイメージを持たれがちなスラムの子どもたちは、そもそも将来の夢を持っているのだろうか?

そんな疑問のもとでスラムの3つの世帯で取材を行ってみると、子どもたちは医者になることが夢だと口を揃えて言った。

一体どうしてなのだろうか?
彼らが医者を志望する理由や、ミャンマーで医者になるためのステップについてご紹介したい。

貧困家庭の子どもの夢はみんな医者?

ケース➀ 障がいがある息子をもつ家庭

ミャンマー、スラムの家

スラムに住む家族の家系図

障がいを持つ3歳の息子がいるこの家庭では、収入は父親の240,000kyat (約24,000円)/月しかない。

この家庭で1か月にかかる生活費は少なくとも、

食事代:4,000kyat(400円)/日×30=120,000kyat(12,000円)/月
電気代:6,000kyat(600円)/月
飲料水:20リットル・200kyat(20円)/ 2日×15=3,000kyat(300円)/月

となる。この3項目を引くと、手元に残るお金は約11,000円。

さらに、
娘の塾代:5,000kyat(約500円)/月
娘の交通費:500kyat(約50円)×30日=15,000kyat(約1,500円)/月

この2つを引くと、1か月で残るのはおよそ9,000円
決して贅沢をできる状況ではないことが分かる。
そしてこの家庭では、これらの出費に加え、障がいを持つ息子のための薬代が必要なのだ。

ミャンマーの伝統的な薬

お値段なんと、300,000チャット(30,000円)!!
お父さんの給料1か月分よりも高い。

脊髄に効くと医者から言われ、2~3か月に1度購入している。
ハチミツと金を原料にした薬で、毎回スプーン1杯分を口に含むのだそうだ。
おそらく、かなりギリギリの状態で家計をやりくりしているのだろう。
(ミャンマーの伝統医薬品についてはコチラ)

さて、この家庭で育った長女の将来の夢は、医者になることだ。
理由は、医者になって母親のためにお金を稼ぎたいから。

“弟の病気を治したい”ではなく、“母親のためにお金を稼ぎたい“と答えるのは、それほどに家計を工面する母親の様子が、娘の眼につらく映っているからであろうか。
(ミャンマーにおける障がい者の生活についてはコチラ)

ケース② 学校を中退した姉を持つ妹の家庭

スラムに住む家族の家系図 ケース➀の家庭に比べれば、子供たちの半分以上が既に結婚して家を出ており、また両親は共働き、さらには14歳の娘も働いているため収入が少し多いようだ。
スラムの家

母親は、空芯菜に関わるビジネスで家庭を支えている。

と言っても、自分で作った空芯菜を市場で販売するのは、たったの月2回。
その他は、以下の図のように各市場から情報を集めて、安く買える市場で仕入れて、高く売れる別の市場で販売者に売る、仲買人のようなことをして、その差額で儲けているという。

スラムのビジネス一方、3女が14歳にも関わらず、学校に行かずに建設業で働くことには理由がある。

学校を中退した4年生というのは、ミャンマーでは小学校の最終学年。
まわりのみんなが中学校に進学していく中、体調不良のため半年間休学した3女は復学できなかった。

学校に復帰する方法がないわけではない。
ただし、オーバーエイジ・スクールと呼ばれる特別な学校で、既に履修をしている小学校1年生の科目からもう一度勉強しなくてはならない。そのため、恥ずかしさと悔しさから働くという道を選んでしまったとのこと。
ちなみに、彼女はお父さんとは別の建設現場で働いている。2人とも、建設会社の社員という訳ではなく日雇い労働だ。

そんな姉を見ている中学生の4女の夢は、またもや医者
理由は、財政面でも身体面でも母親をケアしたいから。

姉ができなかった分、自分が一生懸命勉強して母親を支えなくてはならないと語る。

ケース③ 成績優秀賞を何度も受賞する娘をもつ家庭

スラムで暮らす家族の家系図

上記2つの家庭と比較しても、さほど収入が高いわけでもないこの家庭。
家は水たまりの上にあり、その中を歩いていかないと入れない、そんな家庭だ。

スラムの雑貨屋 このような家庭から出てきたのは、なんときらきら輝くトロフィーの数々。

スラムの子どものトロフィー

これらのトロフィーは、長女が学校で成績優秀者賞を受賞した際に受け取ったもの。
驚くことに、彼女は週に7回も塾に通い勉強をしているという。
(ミャンマーの塾についてはコチラ)

勉強スペースはここ。

スラムの家庭と子どもの勉強スペース ベットと箱の段差を利用し、机代わりにしている。

さて、そんな娘の将来の夢はまたしても医者
理由は、医者になって貧しい人々を救いたいから。

ミャンマーで医者になるには?

今回取材した3つの家庭全てにおいて、子どもたちは医者を目指している。
では、ミャンマーで医者になるには一体どのようなプロセスを経る必要があるのか。
友達の医大生、 そしてヤンゴンの4つ星ホテル「インヤーレイクホテル」にある外国人向けの病院、SOSクリニックで働く現役のミャンマー人医師に実際に聞いてみた。

ステップ1 セーダンで高得点をとる

セーダンとは、ミャンマー語で高校卒業試験の意味。
日本でいうセンター試験(基本的にすべての生徒が受ける)のようなもので、この卒業試験の点数で入れる学部が決まる。
大学間でレベルの差はあまりなく、スコアによって決まるのは学部のようだ。

例えば、ある年に医学部が200名の生徒を採るとしたら、セーダンのスコアが上位200名の生徒たちが医学部進学の権利を得るということだ。

医学部がハイスコアの生徒をピックアップするという表現のほうが適しているかもしれない。
(ちなみに、難関学部1位は医学部、2位はエンジニアだそうだ)

ステップ2 健康診断

入学前に、身体・精神に異常がないか、ある程度の強さを持っているかを確かめる。

いくら成績が良くても、大量の血を見て卒倒したり、死体をまともに見れないのであれば医師にはなれない。

たまに会う医学部に所属する友人から、今日は死体の解剖の授業があったなんていう話をよく聞く。これを耐えられないようでは医師になることは難しい。

ちなみに、いくら医学部生でも、解剖の授業となると出席者が減るらしい。

ステップ3 6年間の授業

多くの医学部生は、平日の授業に加え、土日にチューシンと呼ばれる塾に行っている。学校の授業だけだと、膨大な量を勉強するにも関わらず、どこが重要な点かがわからないため、テスト勉強が手に負えないというのだ。

例えば、私たちが世界史を勉強する際に、地域史(縦の流れ)だけを勉強していると、統一史や年代ごとに国がごちゃまぜで問題が出されたときに回答が難しい。

どうやら医学部の世界でも同じらしいのだ。
各部位の勉強と、体全体やほかの部位と関係して起こる病気などを関連付けて覚えないといけない。それを効果的にサポートしてくれるのが塾なのだ。

ステップ4 1年間のインターン、トレーニング

実際に現場に出ての実践型研修。

現役医学部生の友人によると、医学部ではすべて英語で概念や病名を勉強するが、実際に地方に行って患者を診察する際には、それをミャンマー語で説明しなければならない。

普段すべての概念や病名を英語で勉強している生徒たちにとって、それぞれの語に直接対応する言葉がないミャンマー語で説明するのはなかなか難しいようだ。

ミャンマー地方病院の現実

これらの過程を経てようやく医師になれるのだが、実際に医者になった後、彼らはどのような場所で働くのだろうか。

私が入院したとある地方の病院を紹介したい。

大学の長期休み期間、私は北シャン州からさらに中国国境に近い村などで、ミャンマーのローカルNGOを通じてボランティアをしていた。

そんなある日、蚊を媒介とするデング熱にかかってしまい、外国人でも収容してもらえるラショー総合病院に入院することになったのだ。

病院に入り、その現状に驚いた。ミャンマーの地方病院 1つの部屋に50台以上のベットが並べられており、食事サービスも何もない。医者や看護師が来るのは1日2回、薬や点滴の薬を届けに来るときのみ。

よって家族がつきっきりで面倒を見る必要がある。

さらに驚いた事実は、病院のトイレが使用禁止であること。

そのため、外の有料トイレまで歩いていかなければらない。具合の悪い患者はもちろんそこまでいけないので、バケツの中に用を足し、それを家族が片づけなければならない。

トイレを閉鎖する理由というのは、この病院の患者には村出身者も多く、そういった人々がトイレの使い方を知らないからだそうだ。

”病院”とはいえ、ここにいたらもっと容態が悪化してしまうのではないか、そんな環境であった。

はたして、ここいる医師の姿が貧困層の子どもたちが夢見ているものなのだろうか。

小さな子どもたちの口から「医者」という夢が出るわけ

最初の3つの家庭の子どもたちのように、貧困層の子どもの夢は“医者”という傾向が強い。

しかし、医者になって親の老後を看病したい、病気で困っている人を助けたいというよりは、お金を稼いで、そのお金を親に送りたいという理由のほうが強いという印象を、取材を通じて感じた。

つまり、子どもたちが医者を目指す大きな要因の一つは、その収入の高さなのだろう。これは日本の高校生が医学部を目指す最大の理由「人を救う仕事であるから」とは大きく異なっている。

スラムに住む子どもたちの多くは、常にお母さん、お父さんが生活に苦しむ姿を見ている。しかも、お金もないから病気も治せない。

それなら、自分が医者になればその両方を一気に解決ができる、そう考えているのではないか。

もしかしたら、母親が医者になりなさい、と言っているから「医者」という選択をしているだけなのかもしれない。

今回の取材を通じて、ミャンマーのスラムの子どもたちがキラキラとした夢を持っているとは言い難いように私には思えた。
子どもたちが生活環境から圧力を受けることなく、自由に自分のやりたいことを思い描けるようになるには、どうすればいいのだろうか。

取材協力:Socio Lite Foundation

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塩野愛実
中央大学法学部3年生。2016年4月から2017年3月まで、ヤンゴン大学法学部・国際関係学部に初の外国人留学生として留学中。英語での講義と聞いたにも関わらず、全てミャンマー語での講義が始まったため、ミャンマー語も必死に勉強している。大学、更にはキャンパス内女子寮でも、ミャンマー語しか伝わらない環境で、日本人1人サバイバル生活をしている。