ティンさん夫妻

ミャンマーの最大都市ヤンゴンの中心部から車で約2時間走ったところに、カヤンという街がある。道路には中心部ではあまり見ることのないオートバイが、縦横無尽に行き交っている。田舎町ならではの澄んだ雰囲気がとても心地良い。

今回インタビューに応じてくれたのは、テェイ・カイさん。この街で小さな雑貨屋を営んでいる。
優しい笑顔が印象的な彼女。聞くところによると365日、毎日15時間もお店を開けているという。ミャンマーは働き者が多い国という印象があるが、彼女の働きぶりは想像をはるかに超えている。まずはそんな彼女のご家族を紹介する。

家族構成

2人の息子をもつ彼女は、現在34歳。 4つ年上の旦那さんと息子たち(兄11歳、弟6歳)の4人で暮らしている。雑貨屋はお母さんが一人で営んでいて、旦那さんはトラックの運転手をしており家にいない時間が多い。

旦那さんとの馴れ初め

旦那さんと知り合ったのは19歳の時。当時旦那さんは、彼女の両親が経営していた軽食屋の店員として揚げ菓子を作っていた。段々と親しくなり、出会って半年で恋に落ちたという。その後、1年半の交際期間を経て二人は結婚した。彼女が21歳。彼が25歳だった。

初めて会った時の印象について尋ねてみると、彼女は頰を赤らめはにかみながら「もう昔のことだから覚えていないわよ!」と言った。旦那さんが近くにいるためか、当時の思い出を言葉にするのが恥ずかしいようだ。

ほおを赤らめるティンさん

彼女にとっての旦那さんについて聞くと、
「なんでか分からないけれど大切な存在よ。私は彼の考え方が好き。いつでも私のことを一番に考えてくれる。私の決めたことに何の不満も言わないで応援してくれるのよ。」
と今度は誇らしげに話してくれた。

2人の息子について

息子たちの写真
お店に飾られた写真からも、子供達に対する思いが伝わってくる。

「これが私の子供達、11歳のお兄ちゃんと6歳の弟よ。」
お店の壁に大切そうに飾られた写真を見せてくれた。
「上の子は運動がすごく得意なの。学校のマラソン大会で優勝したのよ!」お母さんがおもむろに差し出した手元には、学校で行われた表彰式の思い出の写真が。

表彰式の写真

11歳のお兄さんは学校が終わった後、毎日のように塾に通っているという。家に帰るのは夜になってしまうが、日課として弟にまるで先生のように勉強を教えるという。文武両道で面倒見の良い自慢のお兄さんだ。
「下の子はとても静かな性格をしているわ。勉強が大好きで、将来は軍人になりたいと言っているのよ!」

実は昔、兵士の放った銃弾によって、彼女の父親が大怪我を負ってしまったのだという。そのような過去を聞くと軍人という職業にネガティブな感情を持っているのかと思ったが、彼女自身も息子の将来の目標を応援したいと語る。そんな彼女の姿勢に、ミャンマーのお国柄とも言える懐の深さを感じた。

優しい笑顔で息子たちについて語るおかあさん

「息子達は私にとって一番大切な存在。いつも彼らのためになるようにと考えているの。」
息子達について話すお母さんの穏やかで愛情に満ちた表情が印象的だった。

お母さんが経営する雑貨屋 仕入れのヒミツに迫る

雑貨屋の写真

彼女が経営する雑貨屋では、日用品やお菓子、野菜、果物、さらには手作りのお惣菜まで、生活に必要なものはほとんど揃っている。自分たちの生活もお店の商品でまかなっているという。地域における「スーパーマーケット」のような役割を果たしているようだ。

近所に住む人達や、近くの工場で働く人たちが、よく買い物に来るというこのお店。道路を挟んだ向かい側にも、いくつかの雑貨屋がある。競合が多いこの地域で、どのようにして差別化をはかっているのだろうか。お母さんに聞いてみた。
「旦那がトラックの運転手をしているの。だからヤンゴンの大きい市場まで商品を直接仕入れにいくことができるのよ。おかげで他のお店よりも安い価格で商売ができるわ。」

事業の規模が小さく、小さな利益の積み重ねで成り立っている雑貨屋にとって、仕入れのコストを浮かせることができるのは非常に大きい。競合の多い地域で生き抜くためには旦那さんの協力が欠かせないのだとか。

飼育している豚の写真

彼女は雑貨屋以外にも新たなビジネスを手がけている。最近では、マイクロファイナンス機関から受けた融資を元手に6頭の豚を購入し養豚業を始めたことを話してくれた。近い将来、服の仕立て屋や電化製品の販売も始めるのだという。

しかしなぜ1日に15時間も働いているお母さんが、融資を受けてさらなる新規事業の拡大に挑むのだろうか。彼女には大きな夢があった。

お母さんが抱く大きな夢とは?

真剣な眼差しのティンさん

「息子たちに良い教育を受けさせることが私の大きな夢なの。」「私は学校を途中で辞めてしまったから、、。」
そう語った後、少しの沈黙が訪れた。

躊躇しながらその理由を聞くと、お母さんは遠くを見つめながら当時を振り返る。
翌年に高校進学を控えていた当時14歳の彼女は、経済的問題を理由に学業を諦めた。家庭菜園で育てた野菜や果物を売りながら家計を支えた。
この経験が息子たちに良い教育を受けさせたいと願う大きなきっかけになったという。

さらに彼女はこう続けた。

子供達の大学進学への思いを語るティンさん

「息子たちには大学を卒業してほしいと思っているの。」
ミャンマーの大学進学率(短期大学を含む)は16%程度と非常に低い。(※1)
東京オリンピックが開催された頃、1963年当時の日本とほとんど同じ水準である。(※2)
そんな環境の中、なぜ息子たちの大学進学に対するこだわりを持っているのだろうか。

 

「大学へ行くことが、彼らのキャリアをサポートしてくれると思っている。いい職業に就き、彼らには実りのある人生を送ってほしいのよ。」

ミャンマーで暮らす人々は、生活水準とは関係なく、子供達の将来を真剣に考えている親が非常に多い。経済状況に違いはあれど、ミャンマーの人々の子供たちの人生を応援する思いや努力は、日本と何も変わらないのだ。

(※1)出典・参照:UNESCO (UNESCO Institute) 資料:GLOBAL NOTE 2017年
(※2)出典・参照:年次統計「大学進学率」2017年

テインさん画像
話し手:テェイカイ(34歳)
ビジネス:雑貨屋
世帯人数:4人(本人・夫・子ども2人)
世帯月収:75万チャット(約5万4千円)
(内訳)
雑貨屋経営:30万チャット(約21,000円)
トラック運転手をする夫の収入:45万チャット(約3万3千円)

取材協力:MJI Enterprise

 

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